まるがめおブログ

生きた証を残すべく、書き物を始めます。自分の価値観で他人の価値観をどこまで揺さぶることができるのか。※一切収益化するつもりはありません。近年のブログへのバイアスを外して自然体で読んでくださいね。

人生とは言葉である〜プロローグ〜※最初なので笑いなしです

ひそかに、そーっと、始めていきたいと思います。備忘録であり、人生のネタ帳作りのはじまりはじまり…

 

ぼくは小さい頃から人を笑わせることが大好きだ。保育園のときも小学校のときもおもしろいことを言って人を笑わせ、その笑顔を食べ、栄養に変え生きてきた。自分の発言に笑わない人はその時点で終わりだ。関わらないように生きる。恥ずかしがり屋ですぐ緊張するくせに、笑わせるのが大好きだ。しかしそれは大衆に紛れた中でのみ、本領を発揮する、漫才よりガヤ寄りのアメトークスタイル。中学校になっても高校になっても女の子とは緊張してまったく話せなかった。しかし人を笑わせるときだけ緊張から解き放たれる。授業中はいかにどのタイミングで笑わせるかだけを考えて生きてきた。時には自分で発した言葉で自分すらも笑うことがあった(笑いのリサイクル)。いままでたくさんおもしろいことをして、おもしろい人と話して、おもしろいとおもうことをSNS書いてきた。たまにはおもしろくない、真剣なことも。言葉とは偉大だ。だれだ言葉を作ったやつは。でてこい褒めてやりたい。言葉は時に人を笑わせる。人を励まし、人の心を動かす。人を傷つけ、人を殺すこともできる。言葉とはそれだけの力を秘めているといえよう。しかし人は日常でそんなことを考えながら言葉を使いはしない。思いついたまま、考えながら発した言葉であっても、そのひとつひとつはほぼ無意識に口から解き放たれる。だが、言葉を文字にすると、一気に性質が変わる。重みが変わる。それは聴覚だけでなく、視覚で言葉を捉えるからであると思う。さらにはその文字から筆者の想いを推測する力まで働いているからではないだろうか。ぼくは今まで言葉を文字として残してこなかった。非常にもったいないことをした。おもしろい話も、感動する話も、共感する話も、怖い話も、すべて口から発しただけだった。なんともったいない、そして思いついた、今日からそのひとつひとつの想いを文字として保存するべく、ぼくはブロガーになったのだ。今日からここにはぼくがその日その瞬間に感じたことを思いのまま書き残していこうと思う。

テーマはさまざま、ぼくが興味のある歴史か宇宙かスターウオーズかスポーツか恋バナか語りたいことを書いていこうとそう思う。第一回は緊張してなにも面白くないので閉店ガラガラで、次回からしっかりテーマ持って書いていきたいです以上ですあざしたf:id:marugameo:20160917005200j:image